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気功/体験者の声

病を克服して

 横田千里 熊谷教室指導員

 2009年2月1日、久々に父の介護から解放され、遠方から上京する友人とのランチ。いそいそと着替える途中、一瞬にして気分は暗澹たるものに。背筋が凍る思いというのはこういうことなのか。左胸に5センチ程のかたいしこりを発見した。暮れからの父の入退院を恨んでみたり、なぜここまで気付かなかったのかと自分を責めてみたり、とにかく一刻も早く受診しなければと知り合いの医師の紹介状を握りしめ、ここぞと思う病院へ向かった。受診先の科は包括的ガンセンター。乳ガンを証明すべく検査は始まり、一週間のうち半分くらいは病院通いとなる。当然ではあるが不安は募るばかり。そこに中村和子指導員から「どうしてますか?」とメールをいただいた。父の数回の入退院でしばらく気功を休んでいた私。今思うと、これも気のなせるわざなのか、教室の一生徒であった私を気遣ってくださったありがたいメール。藁をもすがる思いで返信した。「とにかくすぐにいらっしゃい」という力強い言葉に導かれ、翌日には教室に伺い整体をしていただき、入院までの間、夫と教室へ通う運びとなった。一度の外気調整で凍っていた心が解けだし、体はぽかぽかと温かくなった。中村指導員の「大丈夫!」という言葉は気に満ちあふれ勇気づけられた。教室の皆さんの励ましと繋がった強い気に応援されどんどん気分は上昇していった。「治らないわけがない!」と思えるようになるまでにはさほど時間を要さなかった。夫と共に朝晩の練功に励むようになった。

 3月6日私の50歳の誕生日、乳ガンという予想に反し私の科は造血器腫瘍科に変更され、悪性リンパ種という診断結果が下された。何とも嬉しくないビッグなバースデイプレゼント。人生のターニングポイントで生まれ変わりなさいということなのか?3日後には入院し、すぐに7種類の抗ガン剤治療がスタートした。無菌室に3ヶ月間缶詰めとなり想像を絶する過酷な治療は続いた。  全国27例目という最新式の治療で途中落伍する人も少なくないという事を知ったのは治療も後半になってから。口の中じゅう口内炎が出来、吐き気と味覚障害で食事がとれず体重は30キロ台に落ち、輸血も数回必要となった。

 入院当初は顧先生のCDを常に聞き、できる限り練功したが、体力はいよいよ衰え、立つことさえ不可能になった。そんな中、中村指導員は遠路病院までお運びくださり外気調整をしてくださった。寝たまま開閉をすることや、それさえもままならなくなったときは「混元霊通」を唱えるなど、その時々にできる功法をいくつも教えていただいた。

 教室で知りあった宮崎さんも外気調整をしに度々来院してくださった。私に智能気功を紹介してくれた金沢の山口さんや大変な刻苦練功でご自分の大病を克復された木村さんをはじめ教室の皆さんもずっと気を送り続けてくださった。この応援は実に大きな力となった。先生や皆様、そして1日おきに外気調整してくれた夫の存在が無かったら、きっとこの厳しい治療を続ける事はできなかったであろう。もうダメという思いにかられる度に不思議と先生は駆けつけてくださった。外気調整の後は抗ガン剤の副作用は軽くなり、心身共にとても楽になった。

 奇跡のような事が幾つも重なり、気のすばらしさと涵養道徳の大切さを痛感した。今こうして完全寛解という結果が出せ、どんどん健康になっている私があるのは気で繋がった全ての皆さまのお陰と深く深く感謝している。病気になって気の力を実体験した今、練功に励み、涵養道徳に則った生き方をすれば怖いものは何もないと心から思えるようになった。この智能気功のすばらしさを一人でも多くの方に知っていただきたいという思いで一杯である。

「気功が未来を創る」
―横田先生ご夫妻の熱意こそ―

 望月照彦

 横田透先生とは、熊谷の街づくりグループを通して懇意になった。40年も前であるが、家業を継いだ和服の仕事や陶芸の才能など巷間に高い評価を聞いていたが、むしろ控え目な人柄が敬愛され、私も好感を持った。

 昨年の夏の始まり、私に病が見つかり築地の国立がんセンターでオペを受けた。担当された先生の優れた技術で切除を済ます。2週間入院し、その後の処方として投薬や漢方、遺伝子治療など先端医療があったが、私の頭は横田先生ご夫妻が教室を開いている「気功」を想った。奥様の千里さんが、病を得てそれを夫婦して気功を修練して乗り切った、という話を妻から聞いていた。妻が、横田先生に思い切ってお願いし、何と快く引き受けてくれた。私たち二人は、8月から横田先生の教室で練功をライブで学び始めたが、月末に薬物不適応を起こし、心配した横田先生が私の東京の家までわざわざお越しいただいた。床に伏せている私の顔を眺め「もう大丈夫ですよ」と、そっと私の指に井穴押しをしてくれた。その横田先生の手の柔らかさ、温もりに感動し、「気」が身体全体を駆け巡る実体験をした。その時から、外部から体内に猛毒を入れるよりも、この宇宙に循環している「気」の流れを活かし自己生成(治癒)の力を身体化させる気功の考え方に強い共鳴観を持った。以来、私たちは毎週の練功に参加し、横田先生ご夫妻から情熱的な教えを受けている。妻は未熟だが朝晩私に揉腹功、井穴、脊髄マッサージ、外気のセットをしてくれている。がんセンターで経過観察の2度のCTを受けているが、病は癒え健康な状態に完全に戻っているという診断。実にありがたく、横田先生ご夫妻には感謝しかない。これからも私たちの気功を巡る旅は、未来を創るために続くだろう。

おおらかに 清らかに 健やかに

望月香菜

 森羅万象・無限大∞ そんなイメージを描きながら気功を始めて9ヶ月が経ちました。

昨年夏、思わぬ病で夫が胃の手術を受けました。手術は成功したものの、今後を案じながら通院する車窓でのこと、私の目に[気功療法]という文字が飛び込んできました。ビルのガラス窓いっぱいに広がるその文字はなぜか目にとまります。それまで気功は特別な能力を持つ人が修練して身に付くもの…と思っていましたが、何か予感がして早速40年来の知人であり、気功をなさっている横田先生に連絡をとりました。先生から伺った気功の説明は分かりやすく、中でも印象に残ったのは「気功を受け入れる意識が大切」という言葉でした。私達にもできるかもしれない、そう理解して数日後には二人でZoom授業を受け始めました。気功の流派は多いと聞きますが、智能気功の功法と御夫妻の優しく情熱のあるご指導ですぐに「気」の感触を掴めたことは幸いでした。

学び始めて1ヶ月、薬の副作用で夫が急に動けなくなりました。病院に問い合わせても様子を見て下さい、との返答。夜半には不安が抑えきれず先生に連絡すると、温かく励まして下さったばかりか、翌朝には渋谷の我が家に駆けつけ施術をして下さいました。40分位経ったでしょうか、「もう大丈夫ですよ」と先生はにっこり。夫も血色が良くなり「体調が戻った」と安心した様子。耳にした「大丈夫」という言葉と感動で私は涙を抑えることが出来ません。花の水が上がる様にすっと元気になった夫は、すっかり回復して夕方にはパソコンに向かい仕事ができる程です。これは「気が通る」を目の当たりにした貴重な体験でした。その後は朝晩夫に気を送っています。日々の生活に取り入れて、他の医療や健康法と併用できる点も優れています。動作の習得と意識の充実は難しいですが「気功は楽しい事、嬉しい事を生み出す」という先生のお話は見事に実現し、常に良い事を思い描ける様になってきました。お陰様で夫の体調は良好で、検査結果は正常です。

生徒一人一人に寄り添い、温もりのある教えに感謝の気持ちでいっぱいです。

大いなる宇宙の生命体である人間が、気功を通して自然と一体になり、幸せの輪を繋ぎ生きていけたら素晴らしいです。私はこれからも森羅万象と無限大をイメージしながら気功に邁進していく所存です。

気功との出会い

森 八千代

 私が初めて気功と出会ったのは約20年前。その日、身体がだるく気分は憂うつだったが、予定していた嵐山町のある記念館に夫と出かけた。館内を見学していると、たまたま顔を合わせた、気功学会の研修で広島からきたという男性から別室に案内され、そこで男性は、私の下腹部を手で押しながら、夫に「奥さんの下腹部をこのように押して下さい。」と説明した。突然、初対面の人から受けた行為に驚いたが、不思議なことにこの後身体も軽く、気分もルンルンに変化していた。気功ってすごいと関心を持った。  その後気功とは遠ざかっていたが、直実市民大学のクラブ活動に気功があることを知り、申し込み入学することができた。横田先生の指導のもと、仲間と共に気功を学ぶことになった。そこで、気功にも種類が多いことを知った。気功って何だろうから学習が始まり、先生からは、「混元気は目の前の人だけではなく、遠く離れはるか海外の人にまで通じる。」と聞いたときは驚くとともに、心のどこかで本当?とも感じた。そして当時、都内の病院に入院中の姉のことを思いだした。海外に届くのであれば国内ならもっと届くのかなと考え、急病を発し寝たきり状態の姉にも私の「気」が通じるのではないかと期待感を持った。先生に相談したところ「大丈夫です。通じますよ。」と優しく話してもらった。私はまだ微力だが先生の言葉に後押しされたことで自信を持ち、入院中の姉に私の気を送ろうと決めた。姉の最初の症状は「手、足がしびれるのよね。」から始まり、二日後には症状が悪化し専門の都立病院へ転院し、20種類もの検査の結果 「ギランバレー症候群」の病名が付いた。姪から「母は話せなくなるかもしれないので話したい人には知らせてくださいと病院の担当医から言われた。」との電話連絡が入り私は急いで病院へ駆けつけた。その時は弱々しい声だが少し会話ができたが、その後呼吸がどんどん苦しくなり人工呼吸器をつけた。一か月後、経過は芳しくないが細菌が入ると危険なため、気管をし、人工呼吸器をつけ集中治療室で24時間体制で治療を受けることになった。一番困難だったことは、かろうじて目だけは動かすことができたので文字盤を使って家族と会話したいが、家族が根気よく文字盤を示してもうまく伝わらず家族も精神的肉体的にも疲れるばかりだった。遠方のため週一回だけだったが面会に行き、気功を勉強していること、先生から教えて頂いた「離れていても気が通じること」を伝え、集中治療室で面会時間が制限される中、姉の手を握りしめながら気を送り続けた。そして「家からも気を送るから」と励ますと姉も目でうなずいてくれ、その後、遠く離れた自宅等から気を送り続け。面会に行くたび気を送り励ました。初心者の私の気が本当に姉に届くのか半信半疑なところもあったが、私なりに必死に気を送り続けた。私の気が進じたか否かわからないが、姉は集中治療室に入り一か月、奇跡的に回復し入院3か月日には一人で歩いて面会室で自ら病気の説明ができるまでになっていた。担当医はもちろんのこと看護師まで、「車椅子も使わず一人で歩いて退院できた人がいなかったので驚いた。」と言われたことを面会時に嬉しそうに話してくれた。姉自身の生きたいと思う精神力と家族の献身的な支えも大きかったと思うが、私はすくなくとも気功に出会ったことで、姉の病状をただ心配するばかりではなく、気を送り少しでも回復させたいと願うことで、自分の気持ちも安らげたのではないかと思う。

気功を始めて

沼尻秋津美

何年か前の四月に友人の紹介で気功教室に入りました。その頃の私は長い間の腰痛に苦しんでおりました。まっすぐに立っていられなく、イスに座ったりかがんだりの日々でしたが、毎週休まずに続けた結果、薄紙を一枚づつとるように腰の痛みが少なくなりまっすぐに立っていられる様になりました。先生の言葉で「具合の悪い時ほど教室に参加して下さいねと嬉しい気持ちで一杯です。休まず続けることが一番だと感じています。 気功に感謝です。

気功を体験して

小川 操

病気知らずの畑大好き、おばあちゃんは91歳。でも昨年の夏に坐骨神経痛になってしまい、ベッドから起き上がれなくなりました。高齢なので、もう歩けなくなっちゃうかな?と思いましたが、横田先生にお話しすると「坐骨神経痛は良くなりますよ」と、とても穏やかに、おっしゃってくださいました。その言葉と笑顔が私の心に入り、私にもできるかなと思いました。おばあちゃんに「私が気功で治してあげるからね」とその日から「痛いの痛いの飛んでけ」ではないけれど、「痛みが取れますように、痛みが取れますように、歩けるようになりますように」と念じながら、両手で腰を挟み込むようにして、腰の奥深くまで良い気がとどくように、両手のひらに気を集めて、ゆっくり静かに気を入れ続けました。

最初は「こんな足、いらないから切っちゃって」と唸っていたおばあちゃんですが、「なんだか腰のあたりが温かくなったよ、良い気持ち」と寝てしまうことも、時には嫁に来ての苦労話も。「うんうん」と聞きながら、毎日15分。2ヶ月間、気を入れ続けました。「足が少し上がるようになったよ」「時間がかかっだけれどつかまりながらトイレに行けたよ」おばあちゃんに笑顔が戻ってきました。少しずつ良くなっているおばあちゃんの姿を見て私も嬉しくなって、気を入れるのが楽しくなってきました。

 そんなある日。1人で庭に出たおばあちゃん(別棟に住んでいる)大きな声で何か言っているのが聞こえました。空に向かって両手を広げ、「自分の名前を言って、生きています。地獄から戻ってきました。ヤッタ!!」半年ぶりに外へ出られたおばあちゃんの喜びの声でした。「今までいろいろありがとう!やってもらうことは、ありがたいし、こんな楽な事はないけれど、夕飯だけは御馳走になるけど、朝昼食、洗濯、ゴミ出しは自分のリハビリになるから、自分でできることはやるからね」と。尊敬するおばあちゃんです。  横田先生の優しい声、笑顔、心が和みます。気功に出会えて良かった。良い気が入ってくるように“いつも笑顔を”心がけたいと思います。ありがとうございました。

癌という病気になって

古谷利江

平成30年11月 突然皮膚がんであることが分かり「エー私が」とびっくり。

このまま何の治療もしなくて良い、そんな投げやりになっていたその日の夕方智能気功の会報が届きました。そして顧先生のお話が載っていて、それを読んだら私は大丈夫、元気になれると確信が持てました。

その後がんセンターの先生にも「私は気功をやっているから大丈夫だと思います。」と明るく笑顔で言えました。 先生も「そう大丈夫という人は大丈夫なんですよ 。」と笑って言ってくださり元気をいただきました。でもその時、腰の癌は腕と足のリンパに転移していてレベル4で「1年もつかどうか?」と先生は思われていたそうです。

私は気功の八句の言葉が好きで 毎日寝るとき唱えていたので、抗がん剤の点滴を受けている時も八句の言葉を唱えていました。そのせいか副作用もなく、吐き気止めや下痢止めの頓服をいただきましたが一回も飲まず、元気に過ごせました。

その後手術も無事済み令和2年1月には「がんは消えています。」と言われびっくりしました。 先生にも「奇跡」と言われこれは気候のおかげと感謝しております。 今も元気に気をとり入れております。これからもよろしくご指導お願いいたします。

不思議な事

熊谷教室会員 T M

日本智能気功に出会って5,6年になります。 その間いろいろなこと不思議なことが起こりました。
23年前に皮膚がんの手術をして今はほとんど治っていますが、ついひと月前、右足の小指にホクロの様なものができ心配になりました。 皮膚科に行きましたらひと月ぐらい様子を見ましょうとのことでしたが、とても気になっていましたので、横田先生に整体をお願いしました。整体で体全体に気を入れた頂いた後に、先生がその箇所に気を入れてくださいました。 その次の日の土曜日に大きな病院に行こうと準備していましたら保険証が見つかりません。探しましたが見つからずその日はあきらめ、月曜日に市役所で再発行してもらいそれから病院に行こうと思っていました。気を入れて頂いてから三日目の病院に行く日、黒子の患部が周りが白ぽっく硬くなって触るとポロリと落ちました。不思議です。小さな穴のような箇所は残りましたが、次の日には何もありません。改めて気の力に感動いたしました。気功の中でも智能気功は宗教的なところは何もなく、教室では皆楽しく練功しいろいろなことを学んでいます。
これからも横田先生ご夫妻の智能気功教室にお世話になりたいと考えております。